ミシンの歴史
ミシンは、裁縫好きの方にはたまらない代物です。
↑ミシン家in高知の店内に展示している古き良き時代の一品
ミシンは、英語で sewing machine ソーイング・マシンと表記されています。
日本では、1854年にペリーが2度目に来航したとき、江戸幕府第13代征夷大将軍・徳川家定に献上し、国内で初めてミシンを使ったのはNHK大河ドラマで一躍有名になった篤姫様(あつひめさま)と言われています!
ミシンとは、簡単にいいますと、布などを縫い合わせる機械のことです。
ミシンとは?は、JUKIが公開しているJUKIミシン博物館がわかりやすいと思います。
http://www.juki.co.jp/jp/muse/index.html
ミシンの歴史
1589年、イギリスで、ウイリアム・リーが編み機を発明する。
1755年、イギリスのワイゼンソール(Charles Weisenthal)が、1790年、同じくイギリスのトーマス・セント(Thomas Saint)がそれぞれ別の仕組みのミシンを発明。ただし、どちらも量産はされなかった。
1810年、ドイツの靴職人クレムス(B. Krems)が針先端付近に針穴がついたミシン針を発明。近代ミシンの原理の基礎となる。
この後、フランスのバーシレミー・シモニア(Barthelemy Thimonnier)が1830年に特許をとったミシンが、軍服を縫う目的で1840年に80台生産されたが、失業を恐れた他の仕立て屋によって破壊されたという有名なエピソードが伝わっている。
アメリカ人のウォルター・ハントは、現在のミシンとほぼ同じ構造の、ミシン針の先端に穴があいていてそこに上糸を通すしくみのミシンを1830年代はじめに発明したが、特許をとらなかったため、この後、複数の業者による特許紛争の原因になった。
ハントとほぼ同じ構造のものが、ハントの発明の後に同じアメリカのエリアス・ハウによって特許がとられている。
1850年、アイザック・メリット・シンガーは現在とほぼ同じ構造のミシンを発明。翌年特許をとり、I. M. シンガー社(のちのシンガー社)をつくった。
日本のミシン
1854年にペリーが2度目の来航をしたときに、将軍家にミシンを送った、というものがもっとも古い記録である。
この後、1860年にはジョン万次郎がアメリカからミシンを持ち帰っている。ちなみに、日本で最初にミシンを扱ったのは、天璋院だといわれている。
ミシンが普及をはじめるのは明治期になってからである。
初期は輸入のみで、修理などを通じて技術を取得した技術者によって、徐々に国内生産が開始された。
最初の製造業者は、江戸時代までは大砲職人であった左口鉄造であるとされ、1881年に東京で開かれた第2回内国勧業博覧会に国産ミシン第1号として展示された。
日本のミシン製造の量産は、1921年に創業したパイン裁縫機械製作所(旧シンガー日鋼)によってはじめられた。このころ(大正時代)から、日本でもミシンの量産がはじまった。ただし、量・質ともに、シンガーなどの輸入品にはかなわなかった。
しかし、外国製品は故障が多く、加えて品質が安定していない点に、ミシンの修理で生計を立てていた安井正義、實一兄弟(ブラザー工業創始者)が着目。彼らは、性能の良い国産ミシンは売れると確信し、製造に着手した。
1928年(昭和3年)に「麦藁帽子製造用環縫ミシン」を発表し、販売し始める。発表年に因んで「昭三式ミシン」と呼ばれ、全く壊れないと大評判となり注文が殺到し、安井兄弟のミシンは瞬く間に広がった。耐久性の秘密はその「造り」にあると云われ、針があたっても壊れないよう「糸受け」を硬く加工しながらも内部に柔らかさを残す為、「浸炭焼入れ技術」という独自の方法を採用した。
Wikipediaミシンから引用
最終更新 2016年11月1日